RYO SATO | 佐藤良

ryo_sato@hotmail.comryo_s_09


Profile
1988年、埼玉県出身。
青山スタジオの撮影アシスタントを経て渡仏。帰国後カメラマンとして独立し、主にスポーツ撮影や雑誌、Web媒体で活動。
近年はスポーツを通してアスリート達のポートレート撮影、ドキュメンタリー撮影にも力を入れている。
2020年からさいたまブロンコスのオフィシャルカメラマンとして写真・映像を担当する。


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Portrait #1


after the game

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Portrait #2



Merheba

私が住む街、川口市ではクルド人が多く生活している。
ここ数年で川口市でのクルド人の位置付け、経緯と在留資格、地域との関係性など、ネット上だけではなくリアルな場でも話題になっている。
間違った知識、情報不足、思い込みやデマなど、
様々な言葉が飛び交い、時には誹謗中傷やデモなどにも発展している。
私が暮らしている地域にもクルド人のコミュニテーがあり、最初はどんな人達なのかと多少不安な気持ちはあった。ただ、最初の動機は分からないが、いつの間にか彼らのポートレートを撮影してみたいと思うようになっていた。
ほんの少し勇気を振り絞って声をかけてみる。写真を撮らせてくれないかと。最初は驚いたり、断られることの方が多いが、なかには気前よく撮影に応じてくれる人もいる。
社会では川口市の外国人問題が日を追うごとに熱を帯びているが、私はお陰で様で、毎日何事もなくここ川口でのんびり暮らせている。


Portrait #2

いつか

ポートレートを撮りたいと思った時、一番最初に思い浮かんだ人がいた。妻の叔父である。その叔父さんは写真が好きで、四コマ漫画を写真でやってみたら面白いんじゃないのか、と話してくれた。
叔父さんは重度の喘息を患ってるので、体調が良い時しか撮影はできなかった。本をたくさん持っていて図書館で借りたシラーの本とプログラミング入門の本が机に置いてあったのを覚えている。会話の中で僕が山に行くのが好きだと話したら、帰り際にいつか登山しに行こうと言ってくれた。まだその約束は果たせてないが、そのいつかを僕はこっそり信じている。


daily (2019)



パリは東京よりも陽の光が眩しい。
私が住んでいたアパルトメントの小窓からはよく陽の光が差し込んでいた。それが心地よくて、よく昼寝をしていたのを覚えて。パリに住んでいたのは1年間だけだったが、あの頃の生活が夢みたいに曖昧に思える。



    私が決めたこの道で  
    This is my field, my decision

    障害者だからといって決めさせない。 出来ることではなく、やりたいことを自分で決める。 彼の想いを通し、社会の一つの在り方を提示する。

    加藤健人は18歳頃に遺伝性の視覚障害を持ちました。 思春期に患った受け入れ難い障害により、彼の世界は徐々に光を失っていきます。 しかし、後に出会うブラインドサッカーで彼の世界は変わっていきます。 視覚を必要としない音と感覚だけの世界。 暗闇の世界にいた彼が一歩踏み出したとき、そこにはボールの音と仲間の声で彩られた世界がありました。


    『True voice』さいたまブロンコス #25 ミサカボ・ベニの本音



    さいたまブロンコス公式【ブロンコスの小屋】
    Basketball team

    さいたまブロンコス というクラブが目指す先はどこか、今見えている景色は?クラブ・スタッフ、関わってくださる全ての方がさいたまブロンコスについて深く知ることができる新企画『True Voice』。 1年を通して、様々な『ヒト』の声を届けていきます。 第3弾は #ミサカボ・ベニ 選手。ブロンコスでの3年目のシーズン、覚悟を持って戦う若き生え抜きの暴れ馬となることができるか。彼の言葉でお伝えできる貴重な密着動画となります。ぜひお楽しみください。